教授会のあり方より、トップの資質の方が問題
前回の記事では、
・教授会の権限は、そんなに強くないこと
・改革が進むかどうかは、トップの意思次第だということ
の2点を述べた。
(前回の記事)教授会の権限は、そんなに強くない
http://sidaisyokuin.hatenablog.com/entry/2013/11/22/222752
では、むしろ問題なのは、中教審の素案で、権限を強化すると言及されているトップ(学長)の資質であると言えるのではないか。
本当は、教学のトップが学長、経営のトップが理事長、という役割分担があるのだが、多くの大学では学長が実質的に経営も取り仕切っている。
あるべき論はともかく、そうなっている現状をベースに考えると、権限を強化されるトップ(学長)は、本当にトップとして適当なのか?という問題が浮き彫りになる。
なぜなら、学長は、選挙によって選ばれることが多いからだ。
ぼくの勤務先でも、学長は投票によって選ばれる。
例えば、x学部の教授として教育や研究を行っていた先生が、ある日突然「あなたが学長です」と言って、経営のトップに就くわけである。
当然のことながら、その先生はx学の世界ではプロフェッショナルであるが、経営に関しては完全に素人である。
中にはセンスのいい人がいて、「お、今回の学長、経営者としていい感じだ」なんてこともあるけれど、当然逆のこともある。
よく考えたら、ある専門分野を一生懸命探究し、教育者・研究者として頑張ってきた先生を、「はい、今日からあなた経営者です。よろしく」と学長に指名するなんて、むちゃくちゃではなかろうか。
その先生に経営のセンスがあるかどうかが、運次第となってしまいかねない。
このやり方では、経営者たる大学のトップとしての資質など担保されない。
よく言及されるのは、教育は教授会(学長)、経営は理事会(理事長)という役割分担によって、教育も経営もプロがやる、という両輪型だが、実際にはトップが2人いると舵取りが難しい。
また、職員の中には、教員に対抗するパワーバランスの問題として、理事会の強化を話題にする人もいる。
だからたぶん、大学のトップには、教育と経営が高いレベルでブレンドされた人が就くのが一番いいのだと思う。
教員だ、職員だ、という枠組みを超えた<「教育」×「経営」人材>。
これを山本眞一先生(桜美林大学)は、「大学経営人材」と呼んでいる。
ところで、企業でも、経営者の交代はある。交代した経営者の経営がうまくいかない、なんてこともあるだろう。
だが、そもそもその選出方法が、社員の選挙による、なんてことがあるだろうか。
よく言えば民主的なのかもしれないが、ひとりの従業員の立場から見えるものと、経営者としての立場から見えるものは、本来全く違うはずだ。
従業員の多数決によって選ばれた経営者だと、その施策も総花的にならざるを得ないんじゃなかろうか。
しかも、総花的施策の中身は、投票してくれた教職員に対するものとなってしまう可能性すらある。
だから、もしも選挙でトップを選ぶなら、国や自治体の選挙と同様、その受益者の投票によるべきではないか、と考える。
その場合、投票権は教職員ではなく、学生が持つべきものとなるだろう。