「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」は言い訳に使われがち
以下2つの記事の続き
日本の大学は、偏差値で輪切りにされている
http://sidaisyokuin.hatenablog.com/entry/2013/12/21/202521
「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」?
http://sidaisyokuin.hatenablog.com/entry/2013/12/25/223452
ぼくが「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」という言葉を忌避したくなるのには、実は理由がある。
「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」という言葉を大学関係者が使う時、次のように言い訳を伴ってくることが結構あるのだ。
「なんでこんなことまでしなくちゃいけないのか」
→「大学は専門学校ではない」のになんで?/「職業訓練校ではない」のになんで?
→「だから、ここまではする必要ないよね。しなくていいよね」
→「学生の質が変わってきた」「学生の基礎学力が低い」
→「これで学士と呼んでいいのかい」「困ったものだなあ」
こんな風に、やらないことの理由に使われる。
しかも、この言い訳は、最終的に学生の力の無さを批判しがちだ。これがイヤなのだ。
本当は、力がないのはぼくらの方だ。
「質が変わってきた」「基礎学力が低い」
だからなんですか?と言いたい。
進学率が上昇した今、そんなことはむしろ当たり前である。
自分の学生時代とか、出身大学とか、そういう過去や別の場所なんかと比較することに意味はない。
それは単なる思考停止であり、現実からの逃避である。
現実を見よう。目の前の学生を見よう。
そして、目の前の学生のために、やるべきことを愚直にやろう。
「学生の質が変わってきた」「基礎学力が低い」だったら鍛えましょうよ。
その手段には色々あって、手段を行使する過程で、大学は専門学校なの?職業訓練校なの?という疑問を持つことがあるかもしれない。
けれど、大筋・大意は、学生に付加価値をたくさんつけて、卒業させること、ただそれだけですよ。
確かに、昔のあなたほど勉強はできないかもしれない。
けどそれは、伸びシロがたくさんある、ということですよ。
できないって、素晴らしいことじゃないか。分からないってすごいことじゃないか。
これから、いくらだってできるようになる。分かるようになる。
そりゃ、ほんとのエリートは別かもしれない。けど、それ以外の18歳なんて、きっと大差ない。
だから、
若い可能性を目の前にして、自分たちの無力を、学生のせいにするのはやめましょうよ。
ボヤきながらも、前に進みましょうよ、と。
そう言いたくなるのである。