私立大学職員のブログ

西日本の私立大学で働く職員のブログ

「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」?

日本の大学は、偏差値で輪切りにされている

http://sidaisyokuin.hatenablog.com/entry/2013/12/21/202521

 

イブからクリスマスにかけて、この記事に、色々と反響をいただいて、感謝している。

Gunosy 砲とやらも初めて体験した。ありがたい。

中でも、

「偏差値50以上の学生はいりません。入試を受けても落とします。優秀すぎます。偏差値40未満の学生だけ来てください。あなたたちを鍛え上げ、立派な職業人として送り出します。」という大学があっていい

この部分に、賛否両論いただいた。

ただ、これは単なる例示である。

上位大学の劣化コピーにおさまるのではなく、それぞれが独自の特徴を出そう、というメッセージを、「偏差値に利用されるくらいなら、逆に利用する」という奇抜な方策に載せて示したに過ぎない。

 

これに対して「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」というような意見をいくつか頂戴した。

初めから優秀な学生は落とし、あまりできのよくない学生を職業人として鍛え上げよう、というのは単なる例だったのだけど、

これに対する批判は重要な示唆を含んでいると考えるので、取り上げてみたい。

この「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」という意見は、ある側面から見ると、確かに正しいと思う。

ぼく自身、高等教育機関で働く、日本の最高学府で働く、そういう誇りは、持っていなくはない。

しかし、社会的に有意な人材として、立派な職業人を生み出す、ということが、大学の大きな使命であることも、また別の側面としてある。

想像するに(想像でモノを言うのはよくないが)「大学は専門学校ではない」「職業訓練校ではない」とおっしゃる方は、おそらく、ご自身が比較的高学歴なのではないだろうか。

一方、ぼくの勤務先で、実際仕事として学生を目の前にしていると、大学は高等教育機関だ!最高学府なのだ!なんてことは言っていられない。

最高学府としての大学を否定する気は毛頭ないけれど……現実の問題に向き合い、少しでも前進するためには、形はどうあれ、結局、目の前の学生に何ができるか、を愚直に考えるしかないと思っている。

このとき、大学は高等教育機関だ、というような価値観は、しばしば行動の妨げになってしまうのだ。

そうした悩みの中で、社会的に有意な人材の輩出例として、鍛え上げられた職業人を示してみた。

 

立派な職業人として鍛え上げる、ということが、大学の役割なのか?と問われると、実際のところよく分からない。

当事者として、言葉に詰まってしまうところもある。

とはいえ、社会の要求として、大学に突き付けられている大事な命題だと、ぼくは思っている。

この感覚は間違っているだろうか。

大学の役割も、時代によって変わっていく。

以下の調査によると、2013年度の大学進学率は、50.8%となっている。

https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/43.html

進学率が50%を越えた今、本当のトップエリート層を除いては、鍛え上げられた職業人として、付加価値をつけて送り出す、というのは、十分に大学が持ちうるミッションだと言えるのではなかろうか。

ほとんどの学生は、普通に働く市井の人として、社会的責任を負うことになるのだから。

本当のトップエリート層を育てるような大学には、また別の考え方が必要だろうが、700を超える日本の大学の中で、そんな法人がどれだけあるだろう。

 

そうして、時代によって役割を変えていくと、途中で「それって大学がすべきことなの?」という話になるかもしれない。

けれど、個人的にはそれでいいと思っている。

ぼくは、自分の職場が<大学であること>に価値を感じてはいない。

<学生にきちんと付加価値をつけられる機関であること>が、何より大事だと思う。

そして、その存在に意義があるかどうかは、最終的に市場が判断する。

ダメだと評価されれば潰れる、良いと評価されれば生き残る、そんなものは大学ではないと言われれば、大学以外のものに形を変えるかもしれない、それだけのことだ。