私立大学職員のブログ

西日本の私立大学で働く職員のブログ

大学の先生には、教育と研究に集中する環境が必要

大学で働いていて思うことの一つに、先生に余計なことをやらせすぎじゃないか、ということがある。

余計なこと、と言ってしまうと語弊があるけれど、例えば会議への参加なんかがそうだ。

 

一口に会議と言っても様々だが、大体、学内にはたくさんの委員会があって、それぞれの学部から先生が1~2名、委員として選出されていることが多い。

専任の先生には、授業の持ちゴマというのがあって、これに加えて、2つ3つの委員を分担して掛け持ちするわけだ。

授業というのは、きちんとやろうと思うと、前後の準備にかなりの時間が必要である。

また、研究に十分な時間を割くことができて初めて、学生の教育に価値を還元できる。

できればそれ以外のことはやりたくない、というのが先生方の本音ではなかろうか。

いわゆる教授会自治のイメージのせいで、大学の先生は、経営の意思決定に関わるのが好きだ、という勘違いをされているように思える。

ぼくの知る限り、そういう先生は少数派だ。

自身の研究の話をしているときや、学生の話をしているときが一番輝いていて、そういう人が、いい先生だと思う。

 

会議の事前に、職員が内容をレクチャーして、本番の会議の場では先生に喋っていただく、というような場面がままある。

つまり、会議の場では先生が発言して、議事録にも、先生同士で議論され、決定されたかのように記録されるけれど、その実、裏では職員が糸を引いている、というような場合だ。

それなら、初めから職員が自ら、意思決定を行えばいいのでは?と前から思っていた。

だって、実質的に自分たちが決めているのだから。

では、なぜそれをしないのかというと、自分たちに責任が降りかかるのを避けるためではなかろうか。

実は、その方が職員も楽なのである。

「自分たちにはわからない」「先生が決めることだ」と言って逃げる方が楽に決まっている。

失敗しても、先生の責任にできる。

 

学生のためにも、大学の先生には、教育と研究に集中して欲しい。

そのためには、その環境を職員が整える必要があるだろう。

どうしたら整うのか。

職員が先生に責任を押し付けず、相応の負担を自分たちが負う、という気概を持つこと、がその手始めではないかと考える。