就職活動への違和感は、働き出してから初めて抱いた
今週から正式に、大学生の就職活動が解禁となった。
ところで、個人的に、日本の就職活動は宗教だと思っている。
宗教を持ち出してしまうと怒られるかもしれないが、悪い意味で宗教性を帯びている、ということだ。(宗教をバカにする意図は全くない)
思い出すのは、働き始めて2年目の頃。
ある大学の、都会のサテライトキャンパスに行く用事があった。
一室が就活生に開放されていて、パソコンが完備され、就活のために自由に使えるスペースとなっていた。
たくさんの学生が一様に黒いスーツを身に着け、背筋を伸ばし、キーボードを打つ音がカタカタ響く。
同行していた周りの人は「すごいね。さすがだね」などというようなことを言って感心していた。
しかし、ぼくが抱いた感想はまるで逆で「ひたすら気持ち悪い」というものだった。
ぼくが見た光景は、そのくらい異様だった。多様性が皆無だったからだ。
みんな同じに見えた(実際に外見がそうなのだから、当たり前ではあるが)。
こうした画一的な方法で、多様な人材は採れない。
多様性の担保もなく、真に優秀な人材など採れないはずだ。
なんだかんだ言いながらも、多様性に富んだ優秀な人材より、村社会を荒らさない忠実な社畜が求められているのかもしれない。
つい最近まで、自分もそうした光景の一部だったときがある。
大学を卒業し、実際に働いて初めて、あれは異常だったのだ、という事実に気づいたのだった。
学生時代、自分は大して勉強しなかったくせに、就活生に「君は何ができるの?」と問う採用側、グループディスカッションで真っ直ぐな目でひたすら他人の話に頷く人、アツい口調で夢を語る社員、なぜか新卒を逃すとエントリーできない一括採用……全てがむなしい。
簡単に言うと、茶番だったのだ。
でも、茶番だろうがなんだろうが、学生はその情勢に合わせないといけない。
そうでないと生きていけないから。これは非常につらいものがある。
思うに、優秀な人は、茶番だと分かっていながら、その茶番に合わせていたのではなかろうか。
一方、ぼくのように優秀でない者は、その時はそうした茶番が真実だと信じ、支配される「就活!自己分析!自己PR!業界研究!」の空気に染まらざるを得なかった。
おい、今までグウタラ過ごしてきたくせに、急にどうしたんだ俺よ、と思わないではなかったが、そんなもんだと、疑問など持たなかった。
そして、そうした学生の方が多数派ではないか。
これから就活が始まる学生さんに伝えたい。
就活はタチの悪い宗教と同じであり、基本的には茶番である。
面接官のオッサンより、あなたたちの方が遥かに優秀だ(と思っていい)。
だから、仮に何十社も落ちたり、なかなか内定が出なかったりしたとしても、あなたたちは悪くない。
間違っても自殺などしてはならない。
世の中が変わるまで、もう少し辛抱しよう。
悪いのは流動化していない雇用であり、実現されていない同一賃金同一労働であり、既得権を手放さない正社員労組なのだ。
そして、「こんなの茶番だよね」とバカにしながら、上から目線で就活を乗り切って欲しいと願っている。
(ぼくはフェアな世の中のために、一刻も早く自身の既得権を手放したい。そのために努力したい。)